人も組織も成長期においては事をめた時分を忘れずに成長していくことが肝要である。しかしこの句を世に残した世阿弥が指している初心は成長初期のものだけではない。「初心忘るべからず」というこの句は、世阿弥の能芸論として広く知られた「風姿花伝」から、20年のを経て世阿弥が悟り得た能芸論を晩年に集成したの秘伝書である「花鏡」の最後に、能芸の奥義として記されている。そこでは、若年の初心に加えて次の二つの初心が述べられている。

一つは「時々の初心を忘るべからず」である。人も組織も成長のステージごとに心新たに挑み続けるものだろう。これがその時々の初心と言える。その時々の初心を、演じては忘れることを繰り返してしまえば、場当たり的な仕事になってしまう。忘れなければ現在の中にその時々の初心が重奏的に含められた深みのある芸を持つ者として認められよう。それが人や組織の揺るぎないブランドとなる。

もう一つは「老後の初心を忘るべからず」である。成熟期に達してからは、その風体に似合うことを習うことが老後の初心である。人の命には終わりはあるが、能には終わりがあってはならない。前例踏襲で変化を拒むのではなく、成熟期にあった仕舞を見出し続けなくては、人生の時間にも組織の空気にも閉塞感が満ちてくる。最期まで初心を忘れないからこそ退歩することはなく、その頂に到達した能芸を生きたまま次に伝えていくことができる。

デジタルトランスフォーメーションが叫ばれる昨今、その動きは外発的で「時々の初心」にもとづく内発的なものでないように感じるところがある。デジタライゼーションとデジタルトランスフォーメーションは大きく異なる。ただ過去のプロセスのデジタル化に取り組むのでは、そのときの社会の情勢に合わせた結果だけが保存され、何故そのプロセスが必要であったのか、その必要に応えた時分の初心は忘れられてしまっている。過去の結果であるシステムは初心ではなく、結果を生んだ動機と行動こそが初心である。現在の視点に立ち、過去の必要に応えた初心を忘れずに新たなシステムを構築することが大事である。従来の、新しいモノやサービスの進歩に生活様式が引っ張られるのではなく、こうありたいと願う生き方を実現するためにモノやサービスが生み出される流れに世の中は変わってきている。コロナ禍での業務継続のためのリモートワークの必要性の認識。結果として多様な人材や働き方を取り入れられる働く環境の広がり。その阻害要因としての組織構造や業務プロセスへの気付き。AIやメタバースの活用によっては、ひとりひとりの違いを認識して克服する道筋が開かれる可能性も出てくる。

社会に終わりがあってはならない。「老後の初心を忘るべからず」とは、世の中を進歩させていくための奥義と言える。若者が既にある社会で既にある役割に就くことを求めて進路を考え、失われた30年とも呼ばれる社会になったこと。これは高度経済成長期なのか、どこかの時点で会社や社会、そして人の一生のパターンが完成したと捉えた結果が継承され、老後の初心を忘れてしまったからではないだろうか。老後の初心を忘れないこと、それは新しい思想や技術に向き合いつつ、社会や組織、人の生き方を絶えず作り変えていくことである。新しい産業や社会、そして生きる活力はそこから生まれてくるだろう。

能・世阿弥|文化デジタルライブラリー